『お父さんがまた具合悪くなってね…、また病院で検査することになったよ…。』
『私も最近疲れがなかなか取れなくなって、もう全然だめだよ…。』
めずらしく、母からの弱気な電話。
気になったので先日、埼玉の実家に足を運んできました。
両親お気に入りの焼きまんじゅうをお土産に訪ねてみると、全く元気な様子。
なんでぇ、まあとりあえず元気で良かったがね。
それにしても、バブル期真ただ中にバリバリの営業マンだった父親。
当時の恐ろしいほどの迫力はどこへやら。
うちのお母さんが一番綺麗だ。と思っていた母親もすっかり銀髪。
齢70もとうに越え、今じゃすっかりおじいいちゃんとおばあちゃんになってしまいました。
思い返せば、父が新居を購入したのは私が小学生1年生の頃。
埼玉の田舎の分譲地と云えども、世の中はバブル高度成長期。
我も我もと住宅購入希望者は多数の中、抽選会で当選を引き当て大喜び。
工事の期間は毎週のように東京から埼玉の現場まで足を運んでいました。
兄と二人、まだ幼い私達には工事現場には興味がありませんでしたが、近くの自動販売機で500mmlのビンのコーラを買ってもらえることがなによりの楽しみ。
新居では兄と2人部屋。
2段ベットと2つの机で部屋はギュウギュウの小さな部屋でしたが、兄と二人、勉強もせずに悪さばかり。
廊下を挟んで兄と戦争ごっこをしてはしゃぎながら遊んだり、、、
叱られて『お前はうちの子じゃない!』と丸裸にされて家から放り出されたり、、、
実家も築35年が経とうとしていますが、実家に帰れば泣いたり笑ったりの少年の日々を鮮明に思い出します。
そんな、少年時代を思えば『自分もいつかはマイホームが欲しい』と思うようになったのは自然な事だったのかもしれません。
今ではおんぼろの実家ですが、私にとっては思い出の詰まった大切な住まいです。
お客様係り 横山 暢哉